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息が詰まらない呼吸

増上寺

今日の増上寺前。故安倍元総理のお通夜だそうです。自宅が近くて通勤経路なので驚きました。正月三が日でもここまで混み合いません。

さて、本題はこれとは殆ど関係はありません。

私的には最近の暑さは「そこまで暑くはない」と思うのですが、皆さんはどうですかね?これが人によっては暑いと感じる人もいるわけで。

だからこそ、店内のエアコンの温度設定というのは難しいもので、人によっては寒すぎると感じるし、人によっては丁度良いと感じる。

大前提、人ってものはみ~んな違うわけですが、どうしても生命保存の観点から、協通的価値というものに安心を抱き、また、そこから外れる人は安心を乱すものとなってしまうものです。

ここまでは言うまでもなく皆さん、よくよくご理解はされておりますが、では実際に健康とか、治療とかそういう話になると、このエアコンの快適温度を求めることが是となってしまいます。

確かに、医学的に健康であるかどうかの尺度は必要ではありますが、それが絶対的であると述べられた場合、私はそうではないと答えます。

というのは、そもそも健康という概念はなんだという話が抜けているからです。

例えばエアコンの温度は「28℃設定が健康的である」と医師が学術論文をもとに述べたとします。しかし、この時点でそれが科学的であり、正しいことだとなってしまうのは拙速です。

何故ならば、殆どの場合医学とは、数字の再現性が無ければ学術として成り立ちませんから、肉体的側面に寄った研究発表になります。

しかし本来の健康というのは、世界的共通の真ん中ラインでは、精神も肉体と同じだけ健康の要素でもありますし、社会福祉的であることもこれらと同列に扱われるのです。

であれば、大前提、人それぞれが違うことを認めた上で、個々の正解がどこにあるのかという物事の考えかたが必要になるはず。

例えば、外気温度を例にとりますと、暑いと「息がしずらい」とか「呼吸がしずらい」と表現をします。では寒いとどうかといえば、これまた呼吸に不快感を抱きます。

人間というのは実に勝手。

これは、ある部分で錯覚に陥りがちですが、物事の本質は「精神にストレスがあるかないか」であるわけです。

すなわち、その外気温が自分にとってストレスになれば「呼吸がしずらい」わけで、実は気温が高いも低いも関係ありません。

その証拠に、例え暑いといってため息をついていた人でも、万馬券が当たれば交感神経が昂り、鼻の穴は開き、ため息をつくほど呼吸が大儀だったクセに呼吸は速くなります。先ほどのため息は何だったのかと。

要するに、肉体的ストレスなんていうのはそんなものでしかないのです。

私は常々言っておりますが、肉体なんて単なる「肉」でしかありません。それを動かすのは神経。すなわち精「神」にあるのです(ここでは述べませんが世界的には「神」=スピリチュアティーも健康の必須要素です)。

この基本的な部分も、現代社会においては「数値化出来ない」からこそ、肉体に分があると思われてしまうわけで、先に述べたように、これは単に科学的=数値化が出来ていないから肉体主義に陥ってしまう。

これらを踏まえて、少し皆様方にも体と精神の再統合を行って頂きたいと思います。

今このブログをお読み頂いているとした場合、その姿勢は呼吸が心地よく出来ている姿勢ですか?

仮に出来ていないと感じたならば、今よりも楽に呼吸が出来る姿勢を探ってみてください。はい、大体は姿勢を伸ばして「正しい」と言われている教育された脳を使って姿勢を正します。

これがダメなのです。

私の経験上、腕か首をあらゆる方向へ動かして探った方が、大体は呼吸が楽になる姿勢が見つかります。

どうしても見つからないという人は、あくびをした時の無意識な姿勢を参考にしてみてください。その方が「考えていない」から、正しい選択をされているものです。

人によっては腕ではなくて、足を延ばしたり、足の指や手の指を最大限に開いた状態で呼吸運動が広がる人がいます。

ま、これらは後付けで理由は述べられますが、単純に「猫」などが伸びをする時に口を開いて咀嚼筋を伸ばし、前足も後ろ足も尻尾すらも伸ばします。

このことから、末端や咀嚼筋はストレスには極めて密接に関係があるといえます。

ということで、呼吸は誰かに楽にしてもらうのではなくて、もう一人の自分と言いますか、自分の脳で持っている機能を生かす方が完全な方法で楽になるわけです。

その脳の存在がいまいちよく分からないという方は、お問い合わせ頂ければいくらでもお教えいたします。

ご参考までに。

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