負の遺産

最近なんだかブログのアクセス数が多いなと。

おそらく、昨今判決が出た、池袋の暴走死亡事故に対する、オーソペディック(整形外科)要因による踏み間違えではないか?と指摘したのが引っかかっている模様。

私は未だにその意見に変わりはありません。

仮に、わずか一つの事故であっても、オーソペディック要因の交通事故は存在すると思っています。

今まで誰もフォーカスしてこなかっただけ。というか見えない振り。例えばぎっくり腰であっても、本質的には自動車運転には支障があります。特に車庫入れなどのバックの際に、後ろを振り向く角度が狭くなるし、寝違えでも同じことが起こる。

瞬間的に強い痛みに意識が持っていかれると、他の複合運動への注意は明らかに散漫になります。

ま、もしも交通事故を貪欲に減らしたと思う人がいたならば、私の書いた脊柱管狭窄によるペダル操作の踏み間違えの考察を読んでみてください。

私は精神的に弱い人間なので、異論反論は無視します。

さて、お題の負の遺産。それは暴力です。

ようやく昨今の世の中ではその重大さに気が付いたようですが、本質的にはまだまだ社会の解釈度合は低いまま。

一体どの部分が負の遺産であるのかというと、幼少期に、主に親や親族から受けた暴力は、まるで刺青のように体の細胞に刻印されるからです。

そしてその後、どんなに素晴らしい教育を人生の中で受けたとしても、感情の暴徒として幼少期の刺青が活性化し、どれだけ暴力を憎んていても、それを違う人に対して行ってしまうことがある。

物理的な暴力は分かりやすいけど、それは精神的な暴力でも同じことになります。

この間、アメリカ人女性に「なんで日本人は精神から体を壊すという考え方が少ないのですか?」と聞かれたことがありました。

いや、実のところ民族的にはその逆で、うつ病の方はとても多い。精神が弱いから、自分以外には鎧を纏う様に防御を働かせる。だから体にダメージが無いように頑張って見せる。

しかし、鎧の中の傷は、周囲には見えなくても自分、もしくは内側(自分が安心できる人)には見えている。

本人はそれでも、傷がついていないように見せかけるけども、実際は自分が一番先に気が付いている。

そういう耐える習性すらも、親から見習っている人がとても多く見受けられる。

負の遺産を負の資産に替えることこそが、唯一の刺青の消去方法なのですが。。。。

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