モロハノツルギ

昔いらしていた方のご紹介で、遠方から態々六本木までお見えになられたかたがいた。

体の症状というよりか、心の問題が優位なかたで、診療内科にも通院歴がある。

ご紹介元の経緯も面白くて、元々知り合いでもなんでもなくて、話をした流れで私の所をご紹介を頂けたのだとか。

ま、頼りにされている時点でありがたい話ではあるのですが、やはりいらしたこのかたは、結構な拗らせ方をされていて、心理的なトラウマを強く持っているご様子。

私も最初から人生のことなんて、突っ込んだことも聞けませんし、ましてやトラウマ的な事象ともなれば、プライベートなことかも知れないし、思いだしたくもない事かも知れない。だから一旦そのことからは視点を離して、私はこのかたの仙骨部分に右掌を当てながら、体の中にある原始的な動きを探りつつ話を伺うことにした。

この仙骨における原始的な動きは、頭蓋と仙骨を根源とした、いわば本能的な体内の潮の満ち引きみたいな動きであって、死しても15分は律動的に動く習性がある。

しかし、人生の中で、肉体的、精神的な強いトラウマ的事象(心的外傷)を受けることによって、この動きは明確に阻害されてしまう。具体的には、トラウマが少ない健康な体であれば、仙骨部分は自由に全方向へ波が押し寄せるように拡張と収縮を繰り返すのだが、強いトラウマ的事象を受けた人の場合には、まるで枯れた樹木を触っているかのような、または波のないため池みたいな状態になっている。

この自由な潮の満ち引きが出来ない人の場合、人間が本来持つ、生体恒常性=生命維持の働き(自律神経を含む)が弱くなってしまうのだ。

これらの関係性から、仙骨を使えば、他人が精神(トラウマ)と肉体の境界に物理的接触をすることが可能になるのだ。

っで、私が実際に症状の経緯を聞いてみると、いろいろとまとまりの無い話を繰り返す。ま、初めて会う人にケツの真ん中を抑えられて、自由に話せって方が無理かも知れない。

しかしこれを私はあきらめない。

初めて約5分で仙骨が解放を開始。明らかに先ほどまでとは全く違う、大きく自由な動きを感じる。

この瞬間、どのような会話がなされたのかというと、自分の信仰についての話。

そしてそれを打ち明けることと同時に、目をハンカチで抑えながら、体をぴくぴくと振るわせて涙を流してしばしの沈黙。

慰めてあげるとか、優しい声をかけてあげるというのが一般的、社会的常識なのかも知れないが、ここで私が何かの言葉を投げかけると「思い出している事象にたいして私の勝手な価値観の色を付け加えてしまう」という、いわば洗脳的な押し付けをしてしまうのだ。

余談だが、社会的大事件を起こした某カルト教団は、これらの習性を巧みに利用していた痕跡がある。

もしも経験の少ないボディーワーカーがこれを読んでいたとしたら、これから私は重要な「タネあかし」を言う。

それは「何かを力で成し遂げようと思うな。むしろ何もしない事こそがボディーワーカーの仕事である。それは、言葉としての心理的働きかけでも、物理的力でも同じことである。」と。

真意が伝わる書き方であったかは不明だが、「治療」という概念を持とうとすると、人は人に何かを施そうとしてしまう(問診、診察、診断)。実はこの何かをしようとするアリガタ迷惑こそが「肉体と精神を分離させて扱うようになった理由」であって、相手との心的外傷と肉体的な症状との繋がりを見過ごしてしまう大きな原因でもある。

そうやって書いている私が、それで多くの失敗をこれまでに侵している。だからこそ、若いボディーワーカーには私と同じ失敗をして欲しくはない。何よりも後進の先生方々には、私の遠回りの道をぜひ回避して欲しいと思う。

だから「何かをしようと思うな」という言葉はかなり重要。

っで、話をもとに戻し、このかたは、クリスチャンであって、そこの中で受けた事象が原因になっていた。多くの方は「大体宗教なんておかしなことしかやらないのだから」という考え方をお持ちだが、私が色々みてきた中では決してそうではなかった。

言い方を変えてみる。老後の寿命が長い地域では、社会的コミュニティが豊富で、それぞれの長所を生かしあって生活をしている。はい、これを宗教と言います。つまり、村八分なんて言葉があるように、一方では健康の要素として、自分とその他のコミュニティって大事なんです。日本の場合は殆どが予測の範囲内の民族だから特別視しないだけ。

これが諸外国ならば、人種や民族、習わしがそれぞれごちゃ混ぜですから、宗教というくくりで自分の常識と共有できる場所を探せるわけです。

昨今では、コロナ禍で自殺者数が増え、すこーしだけ人と人とのつながりを重要性にフォーカスされました。

っが、一方で自分が「信じている人」や「尊敬する人」「気が合うと思っていた人」と急に絶縁状態になる事象が起きたとしたらどうでしょうか?

そうなんです、健康を提供してくれる代わりに、諸刃の剣のように今度は自分へのダメージが多くなってしまう。

だから難しいんですけどもね。

ちなみに私はキリスト教でもなければ仏教でも神道でもないかな?でも、何でかキリスト教の方が多く訪れます。中にはとても傷ついてしまって、家族の中でも自分だけがキリスト教から距離を置いているという人まで。

「宗教は怖い」って言葉をよく聞きますが、日本人にわかりやすいように表現をしたのならば、日本社会の共通価値認識の強要って怖くないですか?

他宗教を棚に上げて、立派に日本人も狂信者ばかりなのですよ。

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