そこなんですよね

今日は自宅へ戻ったら、ポストの中に区のワクチン接種券の封書が届いていた。

おぉ~これが噂のCovit19ワクチン接種。

もはや世界ではどこまで変異株があるのか無限状態ですが、ぼちぼち私の身の回りでも「既に2回済ませた」「1回目は済んだ」「私は打たない」という人の声が聞こえてきます。

ま、それは人それぞれで良いのですが、一方で私が最も問題視しているのは、昨今の報道の専門家やコメンテーターの輩。

ワクチンを懐疑的に考えている方々や、陰謀論的な見方をする方々がワクチン接種をしないという事を受けて、奴らは偉そうにこういう言葉を使うんです。

「是非正しい知識を持って」「正しい情報を」「正しくないデマ」「メリットの方がはるかに大きい」と。

私はこういう専門家が一番無能だと思うんです。そしてどちらかというと、私にはこれらも陰謀論者と同レベルで等しく見える。

だって、「正しい」って言っちゃっている時点で、もはやそれそのものが科学ではなく「自分が知っていることが正しい」という前提の立場じゃないですか?

そりゃわかりますよ?一人でも多くの人にワクチン接種をして欲しいという「意見」は。

しかし、万に一つの予想外であったとしても、未来には分からない事だってあるんだから、それは正しいと言ってはその時点で正しくないのです。

だから「ワクチンを打つ打たないは個人の自由です」という前提があるわけじゃないですか。

こういう「正しい」を信じ込んだ信者様の意見なんて、テレビで偉そうに述べさせたら、行く末は結局対局意見に立っている人にとっては逆効果。

つまりは、それらの発言の意味そのものは、ワクチン接種を一人でも多く受けて欲しいという事にはなっておらず、むしろ自分の意見通りに社会が従って欲しいという「安心的欲求を満たすこと」でしかありません。

だって、正しいかどうかは未来が決めるのだから。

不安であったり、危険であったり、安全であったりというのは本能的な脳の影響によって判別されるもの。

だからこそ、人によってはコロナに感染したくないから、だから絶対に家を出ないという人や、変わらず夜の街に酒を飲みに行く人まで様々なのです。

この様々は、生命の種の保存上では絶対的に必要なもので、だからこそこれまで絶滅せずに、古代恐竜時代から哺乳類は生き残ってきたわけで。

そういえば先日、宗教心理の研究発表をZOOMで拝見していました。一応メンバーに入ってしまっているので、全容把握のためには不参加っていう選択肢はありませんでした。

お題は「臓器提供と宗教心理」ってやつ。

確かに難しい内容というか、私にとっては想定内の内容でしたが、発表者がこのコーディネーターをやられておられ「そういう私は臓器提供の意思表示に記入をしていない」と仰っておりました。

生かされるチャンスを得る一方で、確実に提供することによって死を迎えるドナーもいる。

死生観というのは人それぞれなのですが、このコーディネーターいわく、たまにドナー側から途中で拒否する例があるようで、そういうときに医師側から「なんでダメなの?」というぼやきを聞かされるのだとか。

私が感じるものとしては、医師の世界ってもはやそれそのものが宗教なんですよね。ある程度の共通価値観を医学を志す時点で教育をされているというか。

ですから、なんで提供しないの?という考え方に行き着くのは何となくわかる。

だけど、どこまで行っても自分の信じる価値観と、その他の人々の無数の価値観となんて一致するほうが難しいくらいです。

だったらそういう無数の人々が、いったいどの様にしたら、この世の中でお互いのことを尊重し得うるのか。

それを世の中に提案するために、私はこのメンバーに入れさせて貰っているのだと再認識させられました。

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