二宮金次郎

今日は天気が良かったので、ちょっと体を動かしに散歩へ行ってきました。

かれこれ東京に来てから17年。住居の関係で山手線の左側ばかりの行動範囲。大体の位置関係や主要道路は分かっているけども、特に山手線の上から右下にかけては、詳細まで熟知しているに至りません。

ってことで、浅草からお台場までの散歩道。

主に隅田川沿いを歩きましたが、途中水天宮、人形町、日本橋は内側へルートを取りました。ちょっと確かめたいものがあったので。

車などで通過してしまうと、どうしても街の空気感を記憶できないんですよね。お手軽ではあるのですが。

そういう意味で歩くのが一番。

と同時に、歩きながら色々考え事をしていると、思考の整理もつきます。

今日も歩きながら考えていたのが「二宮金次郎は昨今では読書をしながら歩くので学校で銅像に使われなくなった」という点。

現実の世界と置き換えるのはどうかと思いますが、歩きながら何か新しい発見をすると、普段行き詰っていたものに対しての答えが連鎖的にどんどん見つかったりします。

歩いていない時では何故かその思考が繋がらない。

この面白い現象を考えれば、もしかしたら二宮金次郎も「ながら」でなくてはダメだったという可能性が出てきます。

その「たとえ」の像なのでではないか?と。

肝心な散歩は、道中人が少なくて快適。

精々隅田川沿いに上半身裸で寝転ぶ外国人くらい。たまに意味不明は世界に入り込んだ人もいますけどもね。

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