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忘れていましたトラウマ4の巻。

まぁそろそろ飽きてきた頃かと思いますが、最後、ここだけ付き合ってください。ちょっと長いですが、文章を書くのが昔から大の苦手な私が一生懸命タイピングしました。

自分が最高のパフォーマンスを発揮できる時というのは、いわゆる集中をしているとき。そしてこれが何に対して集中している時かと言えば、例えば将棋の対局中であれば、将棋について集中しているときですよね?

っが、これだと何の答えにもなっていないんです。

よく「集中、集中」という人がいますけども、「集中」だけの語句では極めて曖昧で、一体何の集中についてそれを言っているのやら。。。

確かに掛け言葉としては聞こえが良いのですけども、ここが本来一番大事で曖昧にしてはいけないところだと思いませんか?

相手の心理?コマの先行き?

どれも、もしかしたら間違いではないのかもしれません。

しかし、いわゆる「ゾーン」と呼ばれる超集中状態に入っている時の精神は、もはや頭を思考する事に使っていない状態でもあるのです。

ですから、「勝手に手が動いた」とか「直感的にこうした」という後付け表現は実は正しい。

そこでは一体何が起きているのかと言えば、脳が変性意識状態にあるわけで、この時に起こっているのは、集中が五感(毎回しつこいですが第六感まで見つかっています)に対して行われている状態です。

よって、もはやその「こと」に対してではないわけで、つまりはこの場合、将棋に対しての集中とは少し違うという事になります。

ゾーンに入るのが上手な人は、私のこれまで接してきた人の限りでは、そこには本来無い匂い、光、音、味で表現をします。勿論触覚にも起こりますが、今のところ触覚派は私は会ったことがありません。あ、でも、風が吹いたという皮膚感覚はよく表現に使われていますけどもね。風向きが変わったとか。

それと同時に、それぞれの情報量を高速処理できることから、時間的感覚もおかしくなります。例えば、野球のバッターであれば、ピッチャーの投げた球が止まって見えたり。

っで、この超集中の手前に普通の集中があって、集中⇄普通⇄注意力散漫という関係。

注意力散漫な状態は、五感に対しては集中がなく、短時間で色々なものに極めて浅い集中を繰り返す。また、普通の状態では、目の前のモノや事に対して集中をしている状態。そして超集中は、細かなことにはもはや意識はなく、自分の目の前のモノや事とは違う空間に隔絶された状態です。

アニメで言えば、キャラが別次元に急にドンと強さが跳ね上がる必殺モードがそれでしょうか(鬼滅の全集中に呪術の領域展開、ブリーチの卍解にワンピースの覇気、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人等々)。

敵が速さについてゆけないというか、実はその逆で、自分の五感処理能力が極限まで上がることによって、自分側の時間がスローに思えるだけなのです。

ですからアニメは空想だと言い切れない要素が沢山あるわけです。

さて、何故本題はトラウマについてなのに、ここで長々と全く真逆とも思われる集中状態を持ち出したのかと言えば、単純にトラウマはこの集中を安定的に出来ない様に邪魔をするから。

いや、正確に言えば、トラウマを受けた事象へ超集中するのが得意になっていて、そこへ一瞬でワープさせられてしまうんです。ちなみに本人には全くその自覚がありません。

超集中の時に「五感」と言いましたが、この場合、トラウマに対して超集中してしまっている現象ですから、過去に受けた好ましくない記憶のゾーンに勝手に入る能力となるのです。

ですから、自分が意図していなくても、呼吸も脈拍も体温も、時間ごとタイムスリップし、全てがその時の状態にフィードバックされてしまったり、操り人形の様に人が勝手に動き、感情のままに振る舞ってしまうのです。

そして、この超集中ゾーンに入る切っ掛けのツールが、過去に受けたトラウマのシーンで記憶された五感の刺激。

車に轢かれて跳ね飛ばされた時に、近くにいた女性の甲高い叫び声や、自分が地面に落下した時に、ポケットに入れていた鍵についたキーホルダーの鈴の音、頭を地面にぶつけて鈍くて低い「ゴンッ」という音、夏の真昼の眩しい太陽の色、昼時の焼き鳥屋さんから出る炭火の香り。

これら全ての五感記憶が、一緒の出来事として記憶されず、まるでガラス玉が割れて砕けた様に分裂して脳に居座ってしまいます。

つまり、それぞれが砕けてしまったがために、夏の昼間の眩しい太陽の光を見るたびに、体の不調や、当時ぶつけた頭に頭痛が出だり、職場でキーホルダーについた鈴の音を聞いただけでも肩が凝ってきたりするのです。

本来であれば、事故の記憶であると一塊に認識できるわけですが、トラウマに関しては砕けてしまっているが故に、別々の要因として当時の身体記憶を明確に浮き出させるわけです。

ですから、例えば、試合の対戦相手で「キラー」という相手には、もしかしたら自分の抱えたトラウマの五感(声や顔や体系が似て居たり)を、その相手が持ち合わせている可能性があります。実力は遥かに上なのに、何故か毎回苦戦をする。

この負の超集中ゾーンに関しては、健康性はもちろん、戦火に置かれた兵士以外は、社会的に弊害を伴います。そこで、このゾーンから自分で抜け出すテクニックを知らなければなりません。

「3」でも触れましたが、ポイントとなるのはやはり五感です。

端的に書くと、トラウマ的身体状態に超集中している時は、五感は決まったパターンの動きをします。例えば、眼球の動きであったり、顔や首の動きであったり、それらの極めて優位という状態にあるわけですから、もちろん完全に支配されたゾーンにいるわけです。であればこのパターン=支配を壊せば良いわけ。

一番簡単なのは、

目の動き。

ここまで長文を読んで下さった方であれば、是非とも今、このモニターを見ながらトライをして欲しい。

やることは簡単。

モニターに対してしっかり正面に座り、まず初めに顔を左に向いてみます。角度としては、鼻先がモニターから外れる程度(45度よりは小さいはず)。

その状態で私のここで書いたブログの内容を読んでみてください。

頃合いの良いところで今度は顔を右へ。

先程と同じ程度の角度へ鼻先をモニターから外して文章を読んでみます。

さて、どちらが読みやすいでしょうか?

要するに、目の働き易さを知りたいわけです。

仮に最初の左側に顔を向けた時に読みずらかったとしたら、右に眼球をむけることに不自然さを覚えているということになります。

そうです。簡単な負の超集中モードから抜け出す方法は、わざとそちら方向へ眼球を動かす運動を行えば良いのです。

そしてそれと同時に深呼吸を繰り返す。

厳密には、左右だけではなく、上下も考慮して行うと効果的ですが、左右だけでも十分解除ができます。

昔に、サヴァン症候群というか、超能力的に風景を記憶してしまう人と接したことがありました。社会ではいわゆる障害として扱われていますが、これの聴覚バージョンが私はモーツァルトだったのだろうと思っています。

モーツァルトは、一度聞いた曲の全てのパートを後から譜面に描き起こせたと言います。おそらく今の社会に存在していたとしたら、特殊学級か、そのギリギリのラインにいた存在でしょう。

私もちょっと自分自身で気になっているところがあったので、こういう能力を持った人に興味がありました。

何故なら、私も兼ねてから風景とか場所とか、一度行った所を雰囲気全体で記憶をしてしまう癖があって、もしかしたら絵に再現ができる「サヴァン症候群」の軽度なものなのかも知れないと。

っで、こういった能力を持った方は、超集中モードに入るのが上手な人なんですけども、不思議な行動習性があるんです。

そう、先に述べた眼球を不用意に変な方向へ動かしながら話をする。

普通、人間というのは、眼球を最大限、例えば右下へ動かしならが話しをすることは難しいものなのです。

やってみて下さい。目を動かす時に使われる眼球の筋肉に脳が占拠されて、口を動かす神経が疎かになるのです。

これが出来てしまう。

私はこれをヒントに超集中ゾーンから脱出する方法を考えたのです。つまり、言い換えると、サヴァン症候群の方々は、常に超感覚ゾーンに入ってしまうので、今という時間にとどまることが逆に苦手。ですが、人と会話をする時に、会話を成立させなくてはならない。

よって、自分でどうやったら超集中ゾーンから手軽に抜け出せるのか、その方法を自然に獲得していたわけです。

もちろん、この方法は使い方によっては、メリットとデメリットがあります。

例えば、私がこれまで試した方法では、映画で何度でも泣けるシーンで、眼球を不自然な方向へ(先程読みにくかった方向)強制的に動かし、そこから更に上下に繰り返し動かす。例えば右がその方向であれば、右にMAX向けてそこから更に上下に動かす。

すると、一瞬で脳内で形成された泣ける感情から脱出しますので、涙なんて一粒も出ません。

良い応用方法は、これまでご紹介してきた様に、トラウマに対してだったり、または昨今コロナ騒動でも増えている「うつ傾向」の思考からの脱出にも使えます。

もっと日常的に使いたいというのであれば、そうだな〜、例えば人前で大事な発表をしなくてはならない時にも活用できますね。

何度も練習したけども、やはり人というのは失敗の記憶が残ります。

その記憶も軽度のトラウマとして考えた場合、発表する前に眼球を1分以上(私は筋肉弛緩をさせる原理から応用して90秒が最も効果が高いと感じています)苦手な方に動かす。

これによって、苦手な記憶や失敗の記憶から自動的に身体行動が支配されることから脱出できるのです。

実は、いまだに自分の中で迷っているのは、これを子供に使うかどうかということ。

確かに子供でもストイックに練習をさせられたりして、トラウマ的な要素を持っている場合があります。ただ、私の思想としては、子供こそ失敗して無数の経験をして欲しいというのが心情にあるものですから、失敗を失敗として考えるのは大人の押し付けじゃないかな?と。

当然ここでこれを読まれている方は、私も含めて比較的そう若くない人が多いと思いますので、活用に注意は必要ないと思いますけども。

あ、そうそう、ちょうどニュースから耳に入ってきましたので、これも書いておきます。

例えば運動選手の指導者が、選手の指導に体罰を行ったとします。例えば竹刀を使ったり。

社会として、そして法としてこの指導者には弁明の余地はありません。それは最初に断言しておきます。

っが、悪は絶対悪であるという結論で終わっている社会では何も未来に解決されない問題なのです。

というのは、トラウマとか精神支配の観点では、この指導者も昔、竹刀を使ってより酷い指導を受けたトラウマがある可能性が高いのです。

幼児期に親から虐待をされたことのある子供が、将来自分が親になって同じように虐待をしてしまうのと同じことです。厄介なのは、それを愛情表現として位置づけされてしまうこと。

再度言いますが、法的または社会的には弁明の余地もありませんので、それを私は擁護するわけではありません。

ただ、当人もトラウマの超集中ゾーンから脱出すれば「何でこんなことをやってしまったのか」と本気で後悔しているものですから、本当の「悪」というのは、その奥底に眠る砕けてしまったガラス玉の破片にあるのです。

ね?こうやって表現すると、あらま不思議。

今度は宗教でいうサタンやら悪の存在が、極めて合理的で核心的に表現されたものだと分かり始める。

だから、宗教の心理を私は調べているのです。

そうだ、、、トラウマじゃないが嫌な記憶?が・・・。

この間、大学の先生から、「コロナが収まったら先生(私)を日本中の学会に引っ張り出します」と宣言されていたんだった。なんか、学術的に無い視点ばかり持っていて、進歩のためには重要なんだって、私。

当たり前じゃん。だって、な〜んにも専門的に勉強したことがないんだもん。勉強したらしただけ良い方の「超集中ゾーン」も「超感覚ゾーン」も入り難くなっちゃうし。

それで、「先生(私)の話を好意的に思わない先生方も沢山いると思う」ですって。

それじゃーまるで、一人で右翼団体の事務所に乗り込んで鎮圧でもさせる仕事みたいじゃない?(←既に大学の研究者を右翼団体に例えている)

嫌な役回り。これはもうこっちがトラウマものですよね。

とにかく面倒だけど、そういうのいいかも。自分がどこまでやれるか、こっちはこっちで学術学会なんぞ私の背丈を図る定規かメジャーくらいにさせて貰います。

この歳でまだ身長伸びてますよ〜って。

さて、ここまで書いた長文を、こんな形で締めくくって良いのか分かりませんが、皆様方に何かのお役に立てれば幸いです。

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