真実はない

ファクトチェック。

近年インターネット社会が急速に発展した中、よく聞かれる言葉です。

つまり、何が正しいのか何が間違えなのか、ファクト(事実)をしっかりと検証してから自分の頭の中にダウンロードしましょうということ。

特にアメリカの元大統領のフェイクニュース、陰謀論発言を例に挙げ、これを徹底的に批判題材に取り上げる。

ただ、本当の真実というのは、いくら頑張っても知ることができない。

例えば、我が国の一つ前の政権では、官房機密費(使途を公開する必要が無い)を政権期間の7年で、約78億円用意されていた。そのうち返納された額、つまりは使わなかった額は「37万円」である。

この内訳を公開しろと言っても、正直に公開するわけもないが、ただ、自分にとって不利な人や組織に対して使われたとは思い難い。

結局のところ、人々は信じたいように信じ、見たいように見て、思いたいように思うのものなのだ。

だからこそ、ファクトチェックこそが正義であるというのは、明らかに人間の本能に反するわけ。

呼吸、脈拍、体温調節、瞳孔、眼球運動は、意識をしていない状況下での支配。

正しいか正しくないかというものは、考えて行う意識下の行動であって、これを優先的にしなさいというのは、人間が動物の進化であることを否定しろという事と同じである。

要するに、人間は動物の延長線上であって、後から発達した大脳新皮質は、本能的な脳の上に出来上がったわけだ。

コロナしかり、だからこそ生命防衛本能は、合理的な大脳新皮質の働きよりも最優先とされ、危険=正しくない=呼吸が乱れ⇆脈拍が乱れ⇆体温が変化し⇆瞳孔が拡大し⇆眼球が決まった動きをして感情が生成される。

自粛警察もそう、コロナに対して自分と考え方が違う人に対してもそう、生命保存の本能からして感情的に否定してしまうのだ。

進化を数百万年も続けてきた中で、精々人間の原型でもあるホモサピエンスが確認されてから10万年。その期間で、別の脳を持てというのは無理な話なんですよ。

偉そうに、陰謀だファクトをチェックしろとはいっても、本能的な機能を抑制させることはできない。

だからこそ、人間は見たいように見て、思いたいように思う事で、自分の生命本能に「安全」という満足をもたらすわけなのだ。

トイレットペーパーは不足していないと言っても、そりゃ皆が沢山抱きかかえてスーパーから出て来て、在庫も売り切れですとなれば、いくら政府や生産業者が十分な供給量がありますと言葉で訴えても、本能的にそれは「危険」なんですよ。

ちなみに今回の緊急事態宣言では紙類の在庫は消えていないですよね?

それは、前回の結果を経験しているから。

つまり、人間が「本能」と唯一対等になれるものは「経験」であるということ。

自分の経験によって、危険幅を変化させることができる。

ただ、その部分でも時として問題を起こすことがある。

いわゆるオオカミ少年のように、この経験が毎回毎回同じものであると認識したときには、本来の生命本能を鈍らせることにもなり得る。

結局のところ、真実は過去からの経験によってはじき出されるものであり、正確には「経験から得た事実を今に照らし合わせて、見たいように見、感じたいように感じ、思いたいように思う。」というのが人間という生物の本筋だと思う。

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