例外は都合の良い言葉

例外は都合の良い言葉

先日病院へ行ったら、骨の折れた線に白っぽい修復現象がみられてきたとのこと。

松葉杖はそろそろ卒業しようかな?

先生に「もう骨折部がズレる可能性はないですよね?」と聞いたら「踏まれたりぶつけたりしなければ」という微妙な回答。

どうしても電車で混んでいる時間帯では、足を踏まれてしまう要素って結構あるんですよね。ですから、足の防御的要素を踏まえて松葉杖を持っているのが安全なんですが(足の前に杖を立てておく)。

なんだか、東京のGotoキャンペーンってどうなるのかよく分かりませんね。

私も年末へ札幌にと思っていたのですが、キャンペーン関係なしに辞めようかなと思っています。

記事を見ていたら、Gotoが新型コロナ感染の拡大を招いたという意見と、そうとは言えないという意見が二分しています。

私はどちらでもいいと思っているのですが、最近はエビデンス信仰の社会で、何でも根拠というものを求めます。

でも、これってやはり「参考まで」にしなくてはならないと思うんです。

結局、国で言えば内閣総理大臣がそれを「参考」にして、自分の考える舵取りを行えばよいのです。

ですから、総理大臣そのものが「Gotoで感染者が拡大したというデーターは出ていない(だから中止しない)」なんて言葉はいらないわけです。

そういう決定のしかたをするのであれば、態々高額な報酬も官房機密費もかけずに、総理大臣そのものをAI化してしまえばよいのですから。

それをしない理由は、間接的ではあっても、国民の負託をうけたかたが、自分のセンスで舵取りをしてゆくことにあります。

そりゃ批判もあるでしょう。しかし、これまで過去の傾向が、今後も同じ傾向で推移するかどうかは、誰にも分りません。

ですから、新型コロナの抗体維持率が何%だとか、そういうのも「単体の要素ならば」という前提が抜けていることに気が付く必要があります。

何も、同時に新型が出現した例は無いからといって、今回はCovit-19しかパンデミックにならないなんて絶対的確証は一秒後から無いわけです。

明日にはもっと強毒性で、上気道に感染する新型のウィルスが出現する可能性はゼロではない。

だからこそ、結局最後はどれを取るかは、民主主義で「負託」をうけた「人間」が選ぶ。

ただ、やはり舵取りを選んだからには、しっかりと選んだ理由を無制限に飽きるまで説明をする必要はあると思いますけどもね。

データーや科学的根拠には唯一、人間の持つ「魅力」というものがありませんので、やはり上に立つ人間は、人間の持つ魅力に長けた人が一番の適格要素だと思うのは私だけでしょうか?

人間の意思が何万分の一の例外を起こせることも、同時に科学的に分かってきているわけなのですからね。