色分け

Gotoキャンペーンが一旦中止になるんですか?

ニュースでは宿泊施設の方々や、飲食店の方々が「中止になればもう持たないかも」と仰っているところが多く報道されております。

ただ、これまでもずっと秋冬は感染者が(Covit19)が再燃するといわれていました。確かにせっかく戻ってきた活気が・・というのも分かりますが、それは当初の予想から、ミラクルが起きなかっただけの事であって、つまりは想定通り。

ならば経営上、これも想定内でなくてはなりません。

むしろ沢山の飲食、観光でGotoを利用して、ミラクルなくらいに売り上げが回復したところが結構あるはずです。

病院関連なんかは特に可哀想ではありますが、我々の職種にも、政府からは何のキャンペーン援護もミラクルもありませんでした。

気を付けなければならないのは、報道のありかた。

まず、感染者が自然に落ち着きを見せないと、結局のところは旅行にも飲食にも、政府が金をばら撒かないと行かない。言い換えれば、不自然な流れを「お金やそれに等しいポイント還元」で意図的に誘導しているというところ。元に戻れば減るのは当たり前で、減った時の事も経営上想定内である必要があるわけです。

常識について研究をされておられた、故山本七平氏によれば、マスコミの報道を例に次のように語っています。

何が日本の社会を動かしたのか。それを本来探求して報道してくれるのが新聞の役目と思うが、今の新聞にはそれは期待できない。

というのは言論で社会を動かそうとし、その結果、自らの言論によって社会が動いたと信じているか、信じたがっている。

とのこと。

また、純黒か純白かと定義された両極に対し、果たしてその中間帯に影響を及ぼしえたのだろうか?と問うています。

これを引用させて頂くと、Gotoは良かったのか悪かったのかを、純黒と純白に分けてしまうことそのものが、常識の尺度で「正しい」「正義」を争う、いわば大会化してはいないだろうか?と思うのです。

アメリカ大統領選挙もそう、人種差別問題もそう、性差性別問題もそう、日本人にとっては実は一番のアキレス腱的な問題。

つまり、常識の尺度を無意識に振りかざす人種であるがゆえに、常識によって純黒か純白かの天下を分ける弔い合戦を行うわけ。

芸能人や有名人の不倫問題も全く同じ。

不倫をしたとなれば、イコールもはや純白ではないわけで、そりゃ日常生活の弔い合戦で負けた恨みつらみを、全く自分とは関係のない、単にテレビでよく見る人であっても、それを純白ではない純黒(敵)とし、どんな言葉や意見を発しようとも「純黒のいう事など信用はおけぬ」と、武器を持たぬ相手の背後から忍び寄り、槍でも刀でも切りつけるのが純白だと信じている。

新型コロナに対しても同じ。

間違いなく純黒で敵であると信じたならば、やはり上手く自分の生き方を転換できないような気がする。

全ては純黒である奴のせい。

腰が重い私とて、この感染拡大を見越して表参道から六本木へ、テナント料を大幅にカットすべく移動した。移動したかったかと問われれば、そんなことはない。

しかし、自分が望まないからこそ、自分が普段選ばない道を行くわけで、それすなわち自分の成長そのものということではないだろうか。

その道は、純黒か純白かではない。だからこそ、自分が変わった選択肢の幅を持てる良い機会であると信じている。

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