結局はロシアンルーレット

結局はロシアンルーレット

日本人は特に宗教観について語り合う機会が少ないこともあってか、精神の所在について、とことん考えたことがある人が少ない。

その割には、精神的なストレスだとか、気持ちは大事だとか、パワハラだとか、言葉だけは立派に活用している状態。

最近でこそ、「うつ」や「依存症」などといった、精神疾患について取り上げられる様にはなった。が、それでも尚、「肉体と精神とは別の存在」として扱われている様に思える。

健康そのものを全体性で考えた時に、「肉体と精神とスピリットがダイナミックに活動していること」という定義が成り立つ。

つまり、どれも優劣なく健康性を左右するものであるわけだ。

例えば、新型コロナに感染し、肉体的に味覚障害や嗅覚障害、発熱、肺炎を起こしたとしよう。当然健康性は害される。

では、コロナ感染を恐れて、個が社会的関わり合いを圧倒的に縮小させたとする。これもダイナミックな活動を制限しているわけで、精神性から言えば、感染した肉体と同じく健康性を害しているのだ。

世界中の学者さん達が真剣に健康とはなんなのかと語り尽くして出てきた答えの中に「社会的健康」というものがある。

つまり、個が他人や社会と積極的に関わっていることが健康の必須条件に組み込まれているのだ。

いわゆる「コロナ自粛」は、確かに感染拡大を抑え、肉体的な健康性を担保した。しかし、一方では個が他人や社会との関わり合いを損ねている側面を持っている。

これは、精神活動にとっては重大な疾患をもたらす恐れのある問題だ。

コロナに感染しないのは肉体の健康性の達成のためであって、その達成のために犠牲にしているのも、結局は健康であるということ。

そして私が最も恐ろしいと思うのは、コロナ感染を抑えるために、これが正義で正しいと、子供達の社会的な活動性を大人目線で一方的に制限していることだ。

いつも自殺者のニュースを見ると、「こころの相談窓口」みたいなものがテロップで出て、よく分からないからここへ相談してと、全てを押し付けているようにも見える。

こんな事では我が国は、確実に新型コロナにおける感染死亡者数よりも、軽くダブルスコア以上で自殺者数の方が上回ってくると思う。

よくあるコメントで「才能もある人だったのに」「幸せそうで元気そうでした」「いい人でした」なんていうのを見聞きしますが、そのコメントは逆に自殺者数を増やしますからね?本当に悪気がなく仰っているのでしょうが。

また、致し方ない犠牲だと言って、考える事を停止させるための口実にする人もいますが、それならば戦争とて致し方ない犠牲なんだろうな。多くの命のためには、少数の命は犠牲になるのはいつものことで考えてはいけない部分であると。

そして今度は残った多くの命の中から少数の犠牲を強いるわけか。

世の中は矛盾で成り立っている・・・。

あ、最初にある写真は、久しぶりに引っ張り出したCDです。

AVANTI!は革命歌、反戦歌が題材のもので、ピアノ一本の表現で構成されています。

澤野工房さんでもサンプルが聴けますが、ピアノだけでお見事!

持っていて損はないCDの内の一枚です。