いつまでやるのか

いつまでやるのか

お盆のシーズンに入り、帰省すべきか辞めるべきか、または旅行すべきかキャンセルすべきかなど、個々の判断をしなくてはならないようです。

私は個人的に「どこの市町村でもインフルエンザが皆無な所がないのと同じく、旧型コロナもこれまでも風邪の一種であったように、世界中のどこにでもこれまでの風邪と同様存在する。」と思うのです。

結局はもはや逃れるすべはないんです。

じゃあ、いつまでこんな事を続けているのかというと、結局のところ責任の回避でしかないわけです。

何の責任かというと、自分が誰か(知人)に移し、そしてそれが誰かの命を奪ったら……という想定的逃避から来るもの。

ワクチンやら薬剤やらが開発されて、自分が誰かにという直接性を遮るオブラードが欲しいだけのこと。

万が一感染をさせてしまっても、薬があるし、仮にその相手がワクチンを接種していなかったとしたら、そこには自己責任の負担割合を持たせる。

極論では二択なんですよ。

「薬やワクチン開発を待って経済崩壊したとしても安全安心を得る」

「多少の感染者はあっても重症者が増えなければ生きるために必要な経済を回す」

もちろんどちらも正解はありません。だけど、両方ともやろうとすると、その時点からアクセルとブレーキで前に進む気なのか停まる気なのか、まるで死にそうになってひっくり返っている蝉が、急に飛ぶみたいなことをやるから読めなくなる。

ただ、仮に薬やワクチンが出来上がっても、結局は無理ですからね?撲滅は。インフルエンザなんて、今ではその両方があっても、我が国ではいまだに年間で多くの死亡者数を出しています(現時点でコロナよりは確実に危険)。

じゃ、なんでインフルエンザの時期に「自粛しろ!」「正月は家に帰るな!」と言わないのかというと、やはり自己防衛と信じているワクチンや薬物信者が多いのではなかと思うのです。

ちなみにワクチンは毎年のことながら、予測をしていた型が外れたら使い物になりません。じゃあ、タミフルなどの抗ウィルス薬があるじゃないか!とは言うのですが、使えば使うだけ耐性ウィルスの発生が促進されますし、急激に肺炎になって亡くなる方もおります(私が小学生の時は、インフルになってもただ寝て耐えるしか方法はなかったんですけども、あの頃って騒いでいましたかね?今みたいに。)

例えばタミフルは、我が国で承認を出したのは2004年頃の話。っで、タミフルにおける耐性ウィルスが表向きに発表されたのは2009年です(もっと前から出ていたと思う)。

新型の新型を作り上げる事の何が安全安心なんですかね。お陰で既に抗体を獲得した人たちは全部やり直しです。

一方で、「重症者が増えるまでは通常の社会活動に戻してゆく」というと、今度は重症化しやすい年寄りはどうなんだ!と言われる。

確かにどれだけ感染防止対策をしたとしても、ハッキリいって死亡者数はそれなりに出るかもしれません。ただね、これまでだって、単なる風邪(旧型コロナ含む)でも高齢者は十分危なかったんですよ?急にコロナで感染症に意識がフォーカスしただけで。

それと、若い人たちに知っておいてもらいたいのは、この半年間経済を停めたしわ寄せは、想像を絶する損失になっています。

どこかで必ず「大規模な税負担」によって、発行した国債の償還を行わなければならなくなる。

その税負担は誰がするのか?

そうなんです。年寄りではないんです、大部分は若者。

年寄りなんていうのは、相対的に若者よりも圧倒的に早く亡くなるわけですし、おおよそ増税までには数年を要すと思います。

つまり、税負担の多くは若者であって、経済を動かすなと言っていながら、じゃ、尻ぬぐいは若者がお願いねっていうのが今のやり方なんです。

お年寄りも子供も、一律で10万円を配られて喜んでいる場合じゃないんですよ。今後若い人は、マンションを買って建物価格が1億円だったとしたら、今は、1,000万円の消費税ですが、今後は2,000万いや3,000万円になるかもしれない。

それをたったの10万円ぽっきりで誤魔化されていることに気が付いています?

更に年金だって減りますよね?原発の処理だってそうだし、若い人はなんか大人しすぎて、お年寄り組にいいように使われているような気がしてなりませんが。

感染対策は当然行う。だけど、薬が出来たら、ワクチンが出来たらというバラ色の妄想はおよしなさい。

どういう舵取りであっても正しいというものは世の中にはない。

だとしたら、国のトップがやはりしっかりと説明をして、方向を指し示すことが一番大切なところだと思うんですよね。

何度も言いますけども、正解なんてどこにもないんですよ。