外科系
- 2020.05.17
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この間、いつもいらしている年配者の方が、ご予約の時間になってもなかなかお見えにならなかった。
10分位過ぎた頃、一本の電話が・・・。
察する通りこのかたからの電話。
「1週間くらい前に自宅でつまずいて転んでしまって、それから歩くのが大変になりました。1時間位遅れますが大丈夫でしょうか?」とのこと。
まぁ所詮暇だし「全く問題はありません」と返答。
その後、一時間を過ぎて遅れてお見えになりました。
扉を開けてビックリ。
「歩くのが大変で」という事は伺っていたものの、杖を突いてようやく歩く感じ。
以前から、座骨神経痛がある方ですので、初めはそれが転んだことで更におかしくなったのかな?程度で思っていたのですが。
お話を伺っていると、部屋の中でつまずき、ちょうど柔らかいクッションの上に転んで、一週間位は経っているから、だいぶ良くはなったものの・・・と。
ちなみに私のオフィスへいらっしゃるのに、タクシーで自宅から来たのだとか。
タクシーだと4,000円位かな?という距離。確かに、これじゃあ公共交通機関で歩いて乗っては難しいかも。
っで、私のオフィスには、通常表参道でタクシーを降りれば、おおよそ2分位で到着できるのですが、この方はなんとその距離を「15分掛けて歩いてきた」とのこと。
確かにご高齢のかたではあるのですが、それにしてもちょっと掛かり過ぎ。
っで、実際に痛い所を聞いてみると、右太腿の前外方45度くらいの股関節寄りの部分が痛いと仰る。
次に、痛みの再現性を調べてみる。
こういうときは、自分が加減を良く分かっているので「じゃあ、そこはどういう動きをしたら一番嫌(痛い)ですか?」と。
すると、法則性は不規則で、一番私が嫌なパターン。
次にやる事は、自分で動かすのではなく、完全に力を抜いて貰った状態で、こちらがゆっくり意図的な方向に動かしてみる実験(これを他動運動という)。
この場合、見たいところは太腿付近の骨や、特に股関節に負荷が加わる様にゆっくり動かしてゆく。何故ならば折れやすい所だから。
すると「あ、そこから痛い!」と仰る。
ん~なるほど、じゃあ今度は全く正反対に動かしますねと言って、同じように完全に力を抜いて貰った状態でこちらが誘導。
すると再び「あ、そこから先は痛い!」と。
ダメだ。本人は歩けるし、一週間前から比べれば楽になっていると仰るものの、これはレントゲン対象。
つまり、骨に何かしらの異常がある可能性があって、そこには異常がないという、いわば「骨折の否定」をしてからでないと、周辺部位には外力を一切加えることはタブーである。
残念ながら、日本の法律だと私がレントゲンを撮ったら違法になるので、面倒だけどしょうがない、どこか整形外科でレントゲンを撮ってもらう事。もう一つは、出来るだけ痛みがある側の足に負荷が掛からないように、松葉杖があるととても有利であることをお伝えして、すぐにAmazonで松葉杖を探してみる。
すると、アルミ製の軽い松葉杖が、明日着で届くらしい。
Amazonって素晴らしい。
その旨もお伝えして、是非自宅着で買って下さいとのこと(ネットが使えないかたなので)。
救急車でも良いかな?と思う反面、本人もコロナ禍だし・・と乗らない様子。
っで、オフィスを出て、私が表参道からタクシーを引っ張てきますとの事で、片脇を掴んで移動させると、「あれ?あまり痛くないかも」と。
え?私が支えているからじゃなくて?と、手を放しても、少しまた歩ける。
暫くすると、あ、また痛くなってきたと。
な~んか嫌な感じ。
というのは、股関節や太腿に外傷はなくても、上位である脊髄や脳の障害でそう感じてしまっていることもあり得る。
日曜日ということもあって、月曜日には病院へ行きますとは仰るものの、やっぱり救急かな~と、再度お伝えしてみても、不用意に行って「コロナリスクを拾っても」との意見。
ん~、一週間経っているから、ま、脳の可能性も低いかな?と、タクシーまで担いで乗せました。
こういう人って、意外と自己判断で我慢が出来ると思って病院へ行かないケースがあるんです。
ですから、別れ際に「病院へ受診したら結果を教えてください。私もこういう症状の見立ての自己採点にもなりますし。それと一週間経っているから大丈夫とは思いますが、気分が悪くなったらすぐに救急になることを自宅の方にも話すように。」とお伝えすると、「そうします。結果が分かったらその時お電話で次回の予約も含めて。」といってお別れ。
っで、先日この方からお電話があって「先生、やっぱり仰っていたように折れていました。」との事。
やっぱりそうでしたか。。
この辺の感覚って、やっぱり経験で「これはマズイ」というのが分かるものなんですよね。
むしろ、骨格を扱う施術者として一番重要なのは、施術の上手さよりも、この見極めの部分なんです。
私は若い時に、腹大動脈瘤の破裂寸前の方を、腰痛でいらして見逃した苦い思い出がありますので、そういう見極めの悪さで極端な話、生死を分けてしまったりするもので。
ま、この腹大動脈瘤の方は、数日後破裂してしまいましたが、緊急オペで一命はとりとめたから良かったものの。
そうそう多くはないのですが、例えばその辺にある筋肉をほぐすようなサロンなんかだと、この最低限の見極めが怪しいんです。
動脈瘤なんかは、コリからの痛みだと勘違いして、外圧を加えて血管を破裂させてしまったり、死亡させてしまう恐れもあるんです。
ちなみに、また頭のおかしなことを言っていると思われそうですが、私はこの骨折部位は、患者の体の5~10cm位手を離した空間上をなぞるだけで分かるんです。成功率は結構高い。
実は、この手法はかれこれ30年近く前に、フランス人オステオパス医師によって、大々的に世に発表された手法なのです。
この医師は、同じように体から手を離して空間をなぞるだけで、患者の病歴や骨折歴、外科的手術痕が分かってしまい、そしてその時期や詳細まで正確に答えられる方なのです。
当時、この方法を知った私は、単にサイキック的な能力で感じているのではないか?または、患者側がサクラなのでは?と思ったりもしていました。
しかし、先日のブログでも書いたように、皮膚には五感の源があって、むしろ音や色などは皮膚の方が本来は鋭敏な部分もあるという事を、この医師は患部を見つけることに応用して証明をされておられていたのです。
またまた頭のおかしなことを・・と思った人は、これ、今や否定する人の方が非科学的ですからね?
この間もテレビでやっていましたが、化粧品会社の資生堂の研究で、特殊な顕微鏡で皮膚が光や音に反応して活性化(顕微鏡上光る)ことが分かったと発表されておられました。
昔から分かっている人にとっては、ようやくここまで時代が来たかと思っていることでしょう。
今や、この医師の事を「非科学的であって非医学的だ」と批判していた医療関係者の方々は、批判した分の土下座くらいはして欲しいものです。
み~んな好きなだけ「嘘だ」と言っていたのですから。
私もそういった経験はありますが、これをやると、まるで精神異常者を見るかのような眼差しを感じるのです。または霊媒師?気功?とか。
それでも行うのはなぜか。
簡単です。レントゲンを撮るよりもこの感覚の方が正しいから。
何故こんな便利なツール(触覚)を現代人は批判して捨ててしまっていたのか。その感覚を感じれる人にとっては、むしろそれを信じない医療技術者の方が精神異常者に思えます。
これは我々の業界だけではありませんよ。
色の分野でも、食の分野でも、音の分野でも、勉強したらしただけこの医療技術者たちのようになってしまう
つまり、色は眼で見て、食は舌で味わって、音は耳で感じる。
そう信じたい気持ちはわかります。そういう価値観を基に、膨大な時間の勉強を積み重ねてこられたのですから。
ただね、一旦捨ててみてよ。ぜ~んぶ。
ほら、自分のやっていることは、周りから言われるほど大したこと無いって、自分の方が一番良く気が付いているでしょ?
色は音でも感じれて、食は色でも感じる。それが分かったら、全ては皮膚が一番の中枢だという事に気が付けるはず。
科学というものが常識であるのならば、今やそれらの分野は非常識になったという事を認める勇気が必要です。
先日も書いたように、音を皮膚で感じられないという音楽家は致命的。
何故ならば、皮膚で感じられる音楽は、耳のフィルターを通過しない、心そのものなんです。良い楽器、難しいテクニック、そんなもので皮膚を通じて心を動かすことはできません。そういうのは商売屋さんなだけですから、金儲けでやらせておけばいいんです。
同じ演奏をしているのに一体何が違うのか。そこに気が付けない人は、皮膚の感覚が退化してしまっている人。
皮膚がより多く活発になる音を出せるかどうか。
再度、言います。
五感の中枢は触覚です。心の表面も皮膚です。
っで、外科系と言えば、いつものように話題が飛んでゆくのですが、昨今のコロナ禍で、大阪府知事が人気を集めているらしいじゃないですか。
確かに素晴らしい決断の速さと実行力。
こういう緊急事態では、そういう人が光るものでして、バッサリと素早く動ける人。
いわゆる医療で表現すれば、外科タイプ、若しくは正確には救急救命医みたいなタイプです。
先ずは命を守ることが最優先で、切り方や縫い方なんていうのも後で気にしてくれというもの。
一方で、内科的に長期間を掛けて、内服薬等を用いて解決を図るような人は、「遅い!危機感が全く感じられない!」と言われてしまう。
どちらも一長一短ではあるのですが、今は外科系が花形になる時でしょうね。
ただ、何れ沈静化した時には、これがまた逆転し始める。
この世間の空気を読む上手さこそが政治家のセンスそのものでしょう。
ちなみに、今はまだ世の中は自粛ムードですが、これもいつかは転換点がやってきます。
いつまで自粛しているんだという側の波の方が勝るようになってくる。
とても心変わりが激しいというのが世論なもので。