まずは知る事から

まずは知る事から

パチンコ依存症の方に厳しくダメだと指摘しても無理なんです。依存症というものは、不思議な習性を持っていて、殆ど依存症ではない方の言葉は真反対にしか聞こえていません。

これはギャンブルに限らず、薬物依存もアルコールもタバコも同じこと。

厳しく叱りつけたり、ダメなことだとコツコツと説教すればするほど「辞められません」というのが依存症。

そんなことをするくらいなら、全て真逆に言ってあげた方がむしろ効果はあるかも知れない。いや、現実にある。

迷惑だとか、常識だとか、そうやって自分が正しいという意見を押し付けたところで何の解決にもならない。

解決にならないのに言っている時点で、正義の押し付けをしているだけなのです。自分は正しくあなたは間違っていると。

まるで分母が違う計算式を何回も何回も繰り返しているに近い作業。

ま、その難解な数式を私は解けると信じているのなら何度でもやってみればいい。

いや、正しい事はハッキリ伝える必要がある「あなたが間違っている」と。

依存症と接するには、お互いが「中動的表現」で会話をしなくてはなりません。

すなわち「通分」をしないと言葉の価値の全てが行き違い。依存症の持つ強固で不動な価値観には一つも敵いません。最後に頭にきて話し合いが決裂して終わるのが目に見えています。

だから「ギャンブルで家庭を壊す!」「借金をして人生が終わる!」「殆どの人が負けで終わる!」など、いわゆる正論というのは全く通用しないのです。

例えば「ギャンブル」「家庭」「壊す」の全ての価値観が通分約分がされておらず、全く会話になっていない。

依存症の人は「ギャンブル」という言葉は「勝ちたい」という前提を強く持ち、一方で説得したい側は「負けるだろう」という前提で話している。この時点で赤と青くらい違う色を見ているのです。

要するに頭っから全くの真反対の議論で出発しているわけで、その後の議論は平行線どころか、深めれば深めるだけ全く理解できない所まで解離してしまう。

ですから、最初の段階で紫(赤でもなく青でもないがどちらにも要素がある)の部分を見つける作業から開始しなくてはならないのです。

コレが通分。

もしも議論をしたいのであれば、まず自分の正論(色)のステージから一旦降りなくてはならないのです。何とかしたい側が先に。

「依存症は自己責任では終わらず、しまいには周囲を巻き込み、時には犯罪にまで及ぶ事もある。家族が崩壊して人生まで崩壊してしまう。」

正論でしょ?依存症じゃない人にとってはね。

ですからこれがダメなんです。

「まず依存症ではないし周囲を巻き込まないようにしているし、そもそも犯罪なんて侵したことないけど?家族も仲良くむしろ息抜きとしてなら認めてくれているし、貯金もあるし崩壊なんてしていない。」

っで、これが依存症側の正論なんです。

これを聞いて依存症ではない人は「いや、今は!でしょ?そのうちそうなるって!それに毎日パチンコ屋に行ってコロナに感染するかもしれないのに人の迷惑を考えろ!」と思うんです。

それに対して依存症は「将来そうなると断定されても、かれこれ10年間やっているけどもそうはなっていないし、そのうちって具体的に何年後のことか?コロナ感染は皆等しく運しだい。リスクが高いから必ず感染するとも限らないし、そもそもパチンコ屋が終わった頃にはスーパーは閉まっているからコンビニ通い。むしろ毎日スーパーへ行っている人は大丈夫なの?最近の抗体検査では無症状者がかなり多いようじゃない。」

となる。

結局はお互いが赤だ青だとやっている内は変わらないのです。

だから、社会の風潮で特定の依存症を叩けば叩くほど依存症は強固なものになる。もしも社会がどうにかした方が良いと思うのであれば、まず正論でぶつけないことだ。

カルト教団も同じく、社会の多勢から非難されればされるだけ信者数が増えるという原理。

何故かというと、人間の心には一定の習性があって、周囲の多勢から攻撃されると、いわゆる「ダークサイド」という側に陥る。一旦排除されてしまったら、例えば神秘の力を信じたり、オカルトやジンクスに興味を持つようになるというデーターも出ている。

つまりパチンコでいえば「私は勝てる」となる。

海外では依存症の研究はかなり進んでいて、殆どの場合批判すると余計に治らないというのが分かっている。

日本の昨今の異常なパチンコ叩きは「逆に依存症を増やしている」という自覚はあるのか無いのか・・・・。

もしも無いとしならば、そっちはそっちで依存症と同じくらいに重症だ。

酷くするくらいなら、よっぽど無視して頂いた方が社会のためというものである。