どれも正解

どれも正解

最近はSNSとかYoutubeなんかでも、著名な方が外出自粛を促すために、いろいろと独自に発信をされていたり、元気付けさせる意図としてメッセージ配信をしているのもしばしば。

ま、当然この様な状況になると、事業をやられているかたに限らず、現実的に不安感に苛まれている方々も多いはず。

そういったことから、著名な方々は発信力と影響力があるので、励ますことに自分という人間を活用するのも良い方法。

ただ、いつものように私は嫌われ役になるんですけども、元気付けさせようとした結果、むしろその言葉が余計に「自分には無理だよ」と折れてしまう人を作っていることも少なからずあるはず。

だから発信者は「絶対に大丈夫」とか「こうあるべきだ」「一緒に頑張りましょう」というのではなくて、自分はそう思います!という形のメッセージ配信の方が良いと思ってしまうんですよね。そもそも深刻な人はそれどころではないし。

例えば、とあるビジネス界のカリスマが「みんなが休んでいる時にどれだけ新しい自分を磨いて、他と差を付けられるかが重要だ!今頑張ることが大事!」と言っていましたが、私は「そーかなぁ?」と。

何もしないのも結構転換時期には大事ですし、「何もしない」の極限は「無」ですからね?無じゃないにしても、「自分が動きを停めることで、今まで気が付かなかった世の中の動きを鮮明に感じることもある」と思うんです。そうすると、新しい戦略が見えてきたり、新しい価値観を見出したりも。

今は経営学の世界では、こぞって企業の業績が上がるとかで「マインドフルネス(瞑想)」を取り入れています。アメリカを中心に、猫も杓子もマインドフルネスばかり(最近少し日本に入ってきているし、スティーブ・ジョブズがそうでした。)。

そんな中で、一人ぐらい「の~んびりしていた方がレベルアップになるよ。」と言える応用力と肝が据わった経営者っていないものなのでしょうかね?

確かにね、決断をしてすぐに舵取りをして前に進むのは凄いこと。

でも、私を含めて世の中の殆どの人は凄くはないんでね。

私はね、停まるだけ停まって気が付いた動きっていうのが、新しい大きな第一歩だと思うんですよ。

え?じゃあ私は今どういう生活をしているのかって?

まぁね、停まっているというよりか、寝て起きてご飯食をべてややエロイ映画を見て・・・それくらいしか無いかな?

でね、話が逸れてきましたが(ここで脱線し始めていることに自覚はある)、私は評判の悪い映画を見るのが好きなんですよ。

おおよそ人気のある映画なんて、誰が見ても分かる商売べースでもよく出来た映画じゃないですか(良い意味で)。

だからあえて評判の悪い映画を見て、その監督が何に心を動かされ、何を伝えたかったのかを読み解こうという根端。

ということで、この間は松坂桃季主演の「娼年(しょうねん)」という映画を見ました。松坂桃季はなんでこんな映画に出てしまったのか?など、汚点であるかの如く巷ではいろいろと言われていたようですが、見てみたら四六時中セックスをする映画。

男の売春婦みたいな感じ。確かにエロイがつまらない。

ただ、最初はそんな感じで見ていたら、結構確信を突いているなと思うようになるんです、この映画が。

何が?と聞かれれば、セックスそのものは、その人それぞれのトラウマを崩し、そこの空いた穴を埋める極めて重要な行為であるという部分。

『*トラウマとは身体の恒常性(生きる上で必要な機能の安定性)の維持を阻害するもの。』

ま、もとは石田衣良氏の小説を映画にしているだけなのですが、個人的にこの方向性は極めてトゥルーだと思うのです。

逆にセックスそのものが、単に子孫を残す行為であったり、愛の表現方法であったり、性欲の吐口であったりする表現では浅すぎるわけ。

ただそれだけなら、永遠と性欲尽きるまで同じ作業の繰り返しだけでしかないんですよね。

人間の性行為そのものには、もっと大きな神秘があることに関心を持つべきです。

そういう目線で見てみたら、惜しいな~と思う映画。性と性の範囲で完結してしまっている。

単に自分のフェチを満たす事ではトラウマは消えてゆきませんから。

性的な快楽を起爆剤として活用すれば、性以外のトラウマも解決し、その人の生命エネルギーを解放することができる。ですから、性行動は性の範囲の話ではないんです。

本来はもっと優れた万能精神療法であるのに、我々の社会において「エロイ」ということだけで「裏側」として扱っていることが問題なのです。

あれ?何の話から始まったんだっけ?