自然の掟

自然の掟

不要不急の街。表参道。

新型コロナ騒動で、これから連休を迎える日本。そんな最中、外出自粛を懸命に呼びかける政府マスコミを尻目に、海にサーフィンへ行ったり、パチンコ屋へ人が集まったりする事への批判と風当たりが強くなってきている様です。

何が悪いのか良いのかは、社会的な道徳心や個々の常識(自分の生まれ育つ中で経験から得た尺度)によって識別されるものです。法はその様々な常識だけでは社会秩序を保つことができませんので、それらに一定の基準を設けたもの。よって、法は正しいというのではなく「社会において守るもの」でしかありません。

っで、反感を買うことは承知の上で話を進めてゆきますが、サーフィンもパチンコも、もしもダメだというのなら、やはり「社会的に守るもの」として、こういった感染症に対しては外出制限を要請することができる様にしないと、結局のところ「良いか悪いかは常識によって決まる以上、個々の判断になってしまう」のです。

つまり、自粛ということは「自ら進んで行動や態度を慎むこと」であって、他人が「慎め」と命令してそれに従うことではないのです。

じゃあサーフィンであれば、近隣駐車場を閉鎖するべきだとか、パチンコであればお店を休業するべきだとか言いますが、これもまた「営業・自粛」なものですから、結局上記の論理に落ちてしまうわけ。

確かに自分の常識に外れる人の素行には「頭にくる」というのが動物的反応として当たり前なのですが、逆にこういう感染症が広がる事態においても、尚行動を自粛しない人たちにもまた同じ理があるのです。

アリの世界でも有名な話ですが、集団の中で約8割は休みもなく必死に組織の維持のために働き続けます。ところが全体の約2割のアリは全く働かずにサボっているかの様に何もしない。

じゃあ、8割の方を集めて新しく集団を作って再編成すれば良いのでは?と考えるのですが、これもまた興味深いことに、元は働きアリだった者の中で、またサボりアリが2割発生してしまう。

要するに、集団社会では必ず出来上がってしまうというのが掟。

では何で働かないアリが出来上がってしまうのかというと、実はこのサボりアリはサボってるのでは無くて、「反応する値が集団の中で相対的に低い」というだけのこと。

働こうとか餌を取ろうと思って実行に移すまでが、他の8割よりも鈍い。

つまり、反応に至る最低刺激量(域値)が組織の中でも鈍い=高いということです。

ちなみにこの2割は普段は組織の中ではお荷物なのですが、巣が壊れたり、働きアリが外敵から攻撃されたり、餌が不足したりとピンチの時にいきなり大活躍するんです。

きっと働きアリからしたら、最初から働けよと言いたいところだと思いますが、この2割がもしもの場合に、結果的に種を残せることになるのです。

種を絶やさないための自然に組み込まれた法則。

ですから、今回の新型コロナで外出をこれだけ自粛する様に呼びかけても「ダメだと思う域値が高い」ので、やめようという行動選択に至らない。それは、痛みや辛さや暑さを感じる量が人それぞれな様に、例えば激辛坦々麺を食べて「辛いって言えば辛いけども美味しい」という人もいれば「いやいや一本食べただけでもう無理。汗が吹き出して舌が痛くて痺れてきた!」という人もいる。

この域値の差は同じ様に危機意識にも働くわけです。

他にも様々なところでこの2割の法則が見られます。

この間見たニュースでは、ニューヨークで実施された抗体検査では、約21%が既に何らかの形で新型コロナに対して抗体を獲得していることがわかったとのこと。また、ドイツの某町で検査をしたところ、抗体を現時点で持っている人は14%と発表している。

日本政府も言っている様に、もはや感染を防ぐことは難しく、いかに感染者数を爆発的に増やさないかという部分へ既に政策はシフトしています。

知らないで感染をしていて、知らずに抗体を作って治しているこの2割。アリの掟と同じく、種の絶滅防止には必要な人たちになるわけです。

「そういう人が感染者を増やして、弱者に迷惑をかけるのだ」という意見もごもっともなのですが、攻撃したり叱ったところで「辛いと思わないものをどうやって汗や痛みを感じろと?」としかならないわけで、迷惑の域値すらも人それぞれ。だからこそ最初に書いた様に、様々な常識(域値)はあっても、それでは社会秩序が保たれませんので「ここから先は辛くてここまでは辛くない」という基準の線引きを「法」によって示さなくてはならないということです。

勿論、何でもかんでも法で縛るのはよろしくないのですが、ただ感染症に関しては、他者の命に関わる問題ですから。

根本的には政府がパンデミックに対して現実的に想定していなかったことに一番の問題点があるわけで。