料理

料理

袋がややカワイイのでそれだけで買ってしまったという・・・。

最近はめっぽう自分で料理を作ります。結構少量で作るのって難しいですね。

多くなってしまうので、連日同じものだったりも。

カレーなんかはあれこれハーブとか買い込んで何種類もチャレンジ。

料理に限らず全てに言えることですが、慣れてくると、操作は勿論、自分の動作そのものが余計な力って大敵だなと思う様になりますね。

例えば料理であったらフライパンで煽っている時も、基本的に取っ手を掴む人差し指と親指以外は力を抜けば抜くほど上手く食材を回せるし、具が突散らからない。

麺を茹でていても同じで、お湯の対流に逆らう箸の入れ方をしたら、せっかく綺麗に対流に合わせて整列して麺が泳いでいたのに、再びバラバラになってしまって、結果的に麺の茹で具合が均等でなくなったりも。

そんな光景を見ていたら、「私が茹でている」ではなくて「茹でる仕事をしているのは鍋であってお湯である」という結論に行き着く。

私が茹でるということは全く「無」ではなく、確かに多少の仕事は必要なのですが、手数が多ければ多いだけ「私は茹でる事の邪魔している」という状態になっている。つまり主役を勘違いしているというわけ。

この傾向はぜ〜んぶの分野で当てはまりませんか?

余計な事(力)をするから下手になる。いや、下手だからそうなるのかな?

そう思ってボッ〜と料理をしていたら「ミケランジェロだな」と。

「その大理石の中にある天使を自由にするまで掘り続けたい」という言葉。

主体は自分でもあり、ただ自分だけではないんですよね。そうするという支配的な割合が少ない。

と色々考えると、気がついた時に麺が茹ですぎて終了・・・。

やっぱり茹でる側の最後の判断は自分の仕事だなというオチで。