わかってきた

わかってきた

最近ちょっとしたことから、サイキック的な能力の開き方のコツがわかってきた。

何も特別な事ではなく、本来人間という生き物が持っている能力であるからして、正確には「わかってきた」というよりか「思い出して来た」というのが正しいのかも知れない。

アレもコレも、そういう事だったのかと繋がった部分が多かった。

例えば、この能力を働かせる時、イメージの世界なのだが、自分の肉体と精神とを切り離すような意識が必要だったりする。

そこで写真に載せたようなイメージが一番近い。

アメリカ人とか結構やりますよね。動作ばかりに目が行くものの、この起源は実は、超感覚的な所にアクセスするために行われていたのが起源ではないかと思えてきた。

更に、瞑想も近い所を言っている。精神の雑念を無にして、最後には肉体的感覚が全てと一体になると。

私はこういう言葉を聞くと、これまでものすごく深い事を考えていたのだが、この度「サイキック的な能力」を簡単に開く方法をシンプルにすると、言葉にすれば瞑想の言い分にも辻褄が合うし、例えばセックスをする行動にも盛り込まれていたりする(要するに子孫を残すためのものだけではないということ)。

仮説ではなく、これは実証実験済み。

1つでも「凄い!」と言われる偶然的なことを、6つ連続に予見することができた。

中でも「これは核心に触れている!」と思った事は、開いて見えて、1分も経たずにその通りのことになった。

そうやって考えると、宗教の祈りなんかも近い所をかすっている(これも正確には動作だけしか伝わらなかっただけだと思う)。

あらためて、宗教心理研究に興味を持って、より現実的な部分が深堀り出来たようだ。

今年は私が講演者として依頼を受けているので、これを最初に使って、例えば「今日の講演が終わるまでに、○○県で震度3の地震が起こる」とか「外で50歳代の女性が転んで声を上げる」というような事をコミットメントして、それが本当に起こるかどうか実証してみようかと思っている(私が意図的に事象を決めるのではなく映像として出てくる)。おおよそ学術研究をされている方々は、そういった内容は信じない習性があるから良い機会だと思う。

このサイキック能力の凄い所は、数字までピッタリと当たる所。

いや、逆に事象の正確性よりも、数字の方が正確に一致する。

さぁ、これは私の威信を掛けたサイキック能力の実証実験だ。おおよそは「非科学的な人」と思われるだろうが、それがまたいいじゃないですか。

自分にとって不利である程、能力を発揮できるのが実力ってもの。言い換えれば「有利な所で勝ってもそれは能力ではない」ということ。