年越しの準備
- 2019.12.31
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毎年恒例なんですけども、私は一年の仕事終わりに必ず明治神宮へ参拝へ行きます。普段の明治神宮は18時くらいに閉門してしまうのですが、12月31日は午前0時の参拝客のために24時間開門。
私の場合、仕事場が表参道ですので、必然的に明治神宮になりますけども、他からいらっしゃる方々は、とてつもなく熱心な信仰心だと思います。
明治神宮って明治天皇の際神ですから、仮に私がもし神道ならば、態々足を運ぶとしたら伊勢神宮へ行くと思いますがね。
途中、手洗い場の横にある小さな物置テーブルに、財布?か何かの忘れ物がありました。
それを誰も捕らずに「気が付いたら取りに来るだろう」という精神で開けたり触ったりしないところは、さすが日本だなと思いました。
さて、今日の最後にいらしていた子は、私が開業前から2歳くらいの時から診ている子です。もう高校生になりますけども、今日は理系にしようか文系にしようかと悩んでいましたが、結局のところ文系?って感じです。人間の体にも興味があるという部分で、理系との葛藤だったらしいのですが、ま、常識的に考えれば医学系は理系の方が有利。
ただ、私は理系も文系も最終的に掘り下げる量によって、区別しにくいくらいに同一にあるものだと思いますので、どちらかを選んだからといって、別物で仕切る思考はもったいないと思うんですよね。
例えば理系であれば、哲学的に物事を考えられなければ、他の人ができない研究や発見はないと思うんです。ノーベル賞を獲られた方々は、結構そういうことを言っています。
また一方で、文系であれば、自然界に存在する物事のおそらく殆どが数字で説明が付くという概念や、宇宙サイエンスに興味を持つかたが多くなります。
ここにも「中論」に落ちついていく習性があります。
ちなみに、この子に「UFOっていると思う?」と聞いてみたら「形はどうか分からないけども俺はそういうものはあると思う」という。
私の子供の頃は、科学者がこぞってUFOを否定して、むしろ笑いにUFOが使われる時代でした。
今はどうでしょうか?
おそらく多くの科学者は「人類よりも文明が発達した生物がいる星がある可能性は高い」という時代です。
そうやってお話ししたら「なぜその時代は宇宙空間全体を把握すらできていないのに否定していたのか?」という。
いや、まさにそうなんですよね。哲学的思考があれば、すぐにそういう意見を持てるわけなんです。
だから、大人の教育社会の都合で「何系」に分けられてしまうのは、本当に気の毒だと思いました。ま、それに限らず全ての専門業界にも当てはまりますが。
っで、最後にこの子にいつ頃から私の記憶があるかと尋ねたら、4〜5歳まで全く覚えていない。
そうやって、考えるとなんだか不思議な感じがしますね。歳もとるはずだ。
40歳代に入って急激に1年のスピードが加速している様に思う今日この頃です。
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