普通でいい

普通でいい

クリスマスです。私はキリスト教徒ではありませんので、皆さんの過ごし方にはあまり興味はありませんが、やっぱり表参道なんかでイルミネーションに群がる集団を見ていると「日本のクリスマスは新しい文化になっているな」と感じてしまうこの頃です。恋人同士がどうとか、もはや商売戦略でしょうかね。

商売戦略といえば、今日は帰りにいつもと同じように、地元のスーパーで夕飯を物色しに行きました。

すると、殆ど全てがクリスマス仕様の食べ物ばかり・・・。

チキン中心に殆どが揚げ物。いつものお弁当系が全く売っていない。流行りに敏感なのは悪い事ではありませんが、一方で神道の令和元年とか言いつつ、この時とばかりに「クリスマス」。ある意味恐ろしい浮気性な国だなと思ってしまいました。

それにしても、鶏が大量虐殺されてお気の毒。半額になって売れ残っていましたけども、流行りの裏には大量の廃棄ありですね。

ほんと、このいちいち小魚の様に大量に一方向に流れる大衆文化はどうにかならないものでしょうかね?

先日テレビで「どこからイジメでどこからがイジメじゃないのか?」という話をやっていましたが、日本人はとくにみんなと違う動きや考えをする人を「危険」と感じ排除する本能が盛んですからね。

ただ、私はそこまでキッパリ区分けができる問題ではなく、単純に「信頼関係」が疎遠になっている世の中であるからこそ、イジメに該当する事が多くなってしまったのだと思います。

つまり、信頼関係の量と比例してイジメとは呼ばない。

前にもアメブロで書きましたけども、例えば関西のお笑いの突っ込みは、コンビに信頼関係が無ければその時点で単なる暴行罪ですからね?「あの時の突っ込みで叩かれてから耳鳴りがおさまらない」ということで、耳鼻科で外傷性難聴と診断書を貰って訴訟を起こされたら終わりです。

また、先生と生徒、親御さんとの関係も同じです。お互いの信頼関係によって成り立っていれば、ちょっと厳しく叱られたくらいではいちいち文句は言いません。

昨今は、スマホやコンピューター社会が発展して、人と人の外向きではなく、内側の個に入り込む習性が見受けられます。

忘年会は出たくないという声によって、企業で取りやめが多くなるのもうなずけますが、人は外にも内にも広げられるという目線も必要ではないでしょうかね?

決まった外部環境とだけ接していては、隕石衝突して新しい元素が出来上がったのがそうであるように、人生の突然変異なんておこりません。人間は自分が予測していない人との化学反応こそが進化であると思うのですが。

夫婦なんかも観察をしてみれば、殆どが性格が真逆だったりするじゃないですか。

脳の性質でもあるのですが、近親交配を防ぐために、同類とは子孫は繁栄をさせないんです。より多様なハイブリットを残すために。

社会では協調的で危険因子と思われない行動が善とされ、素ではその真逆になる。本当に難しい生き物です。