価値はどうあれど

価値はどうあれど

なんだか渋谷周辺のビルの建て直しが着々と進んでいるみたいですね。どれも光の取り入れ方を意識してか、ガラスを基調としたものばかり。最近の流行でもありますよね。

そうやって時代は進化するものではありますが、一斉に建て替えるとなると、全く別の街に様変わりです。渋谷はお隣の駅で通過駅のくせに、全く疎くて行っておりませんが。

さて、建築物はさておき、一番気になるのは「駅構内の案内音声」です。中国語の方が発音的に聞こえやすいせいか、日本語よりもアナウンスが長く大きく丁寧にされているような印象です。

ここは一体どこの国なんだと。

旅行客やオリンピックを意識するのは良しとして、とはいえここは日本ですから、日本語でアナウンスをすれば良いだけだと思うのは私だけでしょうか?他国語であれば、精々英語までで良いんじゃないかな?と。

私はその国々の文化というものをシンプルにした場合、最後に残るのは「言語」と「食事」しかないと思うのです。どれだけ交通網が発達し、国際社会が発展を遂げようとも、最低限の文化は国として体をなす上では必須のものでしょう。

言葉と食事はその国でこそ味わえるものであって、道案内やら商売のためにその文化を崩す必要性がどこにあるのかと。せっかくこれまで世界で唯一と言われる「言語を植民地化されていない独自の文明を持った国」であるのに、サービス精神でそれらを壊してしまうというのはどうなんでしょうね。もはや日本語そのものは「希少芸術」でもあわけです。個人的に京都なんかがそれを重要視されずに、横文字だらけになってしまったのは非常に残念でなりません。

もしも案内が必要であれば、ネット環境を整備して、観光客にわかるように案内を作成するとか、美術館みたいにその場その場で自動で母国語で受け取れるような仕組みを構築すれば解決する問題。

そうやって見てみると、日本という国はそう長くはないのかな?と思ったりもします。

良いとこ取りでいいのでは?という人もおられるのですが、私はそういう意見を聞くと、このあいだ目にしたニュースを思い出します。カメラメーカーのNikonやCanonが大幅に赤字転落というニュース。

一般的に、カメラといえばこの2社が真っ先に思い浮かぶと思いますが、実はカメラとしてのユニットがNikonとかCanonという名前を骸っているだけで、中身のセンサー(映像を取り込む撮影の心臓部のイメージセンサー)はSONYの開発によるものです。私も他社のイメージセンサーが内臓されたカメラを所有していたことがありますが、残念ながらSONYセンサー内蔵の足元にも及ばない美しくない画像。

なのに「やっぱりカメラはCanonだよね」という言葉をよく聞くのは、トータルで製品としてのメージャーさを誉めているだけ。

っでね?良いと言っている割にこの赤字なんですが、一方のSONYは過去最高の黒字。

言いたいことがわかりますかね?文化というのと同じく、根源の部分の基盤をしっかり追究して開発し、結果的に他よりも優れたスペックのものを作り上げる。まさに「腐っても鯛」なんですよ。日本人の文化って、そういう根源がキッチリとしていて、何かに乗っかったものではないわけです。要するに、今の日本が進んでいる道は、これらのカメラメーカーと同じく、あれこれ取り入れて組み上げようという精神。

歴史的に多民族国家はそれでも良いのです。例えばアメリカのように移民の集まったような即席国は、特にカメラメーカーのようなやり方は必要。今でいうとAppleがそれです。Iphoneなんかは最初は中身は日本製の基板ばかりでした。20年、30年はそれでもいいでしょう(デジカメは20年前に登場してそれ以来Canonが頭一つ差をつけて進化)。売れている内は。しかし、半世紀以上という長いスパンでは、文化のような長期的にブレない精神を持ったものが残るものです。つまりここでいう根源の追究(売れるものの追究とはイコールではない)。

文化っていうものは、根源には宗教が必ず存在し、そしてその宗教は日本にとっては神道です。天皇(エンペラー)としては世界で唯一日本だけがいまだに存在し、現時点で地球上で最古の王朝。島国だからこそ出来た「他国の文明に左右されない独自の文化」が今壊れようとしているようでなりません。

だた、壊れることが善とも悪とも言い切れませんが。

19世紀から一途にこだわっている中国の一帯一路政策もそろそろ悲願でしょうね。