厳格が流行りなのか?

厳格が流行りなのか?

昨今のインターネットニュースを見ていると、一昔前までは記事にもならなかったような事が沢山アップされて、そしてその多くが「そこまで大きく問題視するようなことでもない」と思うものばかりに思えます。

いや、正確には当事者にとっては一大事なのかも知れませんが、それは個別で解決すれば済む問題。私は昔に少しだけクレーム対応の仕事をしたことがあるのですが、その時の案件の方が、強盗とか人が死んでいるとか、よっぽどニュースになるべきことが多かったように感じます。

例えば、後一歩のところで市営バスが扉を閉めて行ってしまったとか、それで交通局に連絡を入れて、これについて賛否を繰り広げる記事とか、ある意味平和な国だという現れでもあるのかも知れません。香港デモ活動の最中でこれくらいのものは問題にすらならないでしょう。

繰り返しになりますが、当事者同士で解決方法を見つけ出せば良い話で、やれ運転手が世知辛いとか、やれ時間に停留所に着ていなかった乗客がクレーマーなのでは?という感じの論調だったりとか。

確かにそれらをみんなで想像して考えるというのは良いのですが、仕事をする上で突き詰めてしまえば、従業員によってできる顧客対応の幅が変わってはダメなわけで、ともすればより厳格に出来ることと出来ないことを徹底しなくてはならなくなってしまうわけです。問題にされる度に「あの人はやってくれた」「あの人はやってくれなかった」という部分が露呈してしまうので、線引きの強化は必須な社会になります。

そうなってしまったら本末転倒だと思いませんか?

だって、全体性で厳格にやれる事とやれない事を区別してしまったら、当事者の状況判断による行動は萎縮してしまいます。バスを例に考えれば、誰でも守れる発車ルールになって、バスが到着して停車した時点で停留所に居なかった人は、全て駆け込み乗車とみなし、乗車拒否ができるようにすれば一律で簡単明瞭。

っで、皆さんはそういう社会を望んでいるんですかね?私はそういうコンピューターみたいな社会って好みではないんですよね。会社の業務上のルールを厳格にするということは、社員が自由である幅が狭くなるのと同時に、利用者の自由すらも狭くなってしまうということでもあります。

人間なんだから、その時その時で状況判断があっていいし、最終的にこれはダメでこれは良いというのは、会社の部署の責任者が、責任を持てる範囲で決めれば良いことだと思うんです。それを株主でもなければ利用もするかしないか程度の部外者が、ワーワーと騒ぎ立てる趣味の悪い世の中って皆さんは本当に好みなのかな?

発車時刻になったけども、寒い雨の日で、傘をさしながら歩くのが遅いお年寄りを1分待ったとか、人によっては道路状況でこれ以上待てないと判断して発車したとか。

一律化を重要視する社会が実現されてしまうと、5分に一本バスが来る地域も、1時間に一本しかバスが来ない地域も、社員はルールを厳守すべきだということになれば、問答無用で扉を締めてしまうことが「正しい」とする世の中になりかねないわけです。

当然、個別の会社で対応が変わったら、それを引き合いに問題視され、トラブルも起こると思います。確かに面倒な作業なんですけども、しかしそのトラブルの何が悪いんですかね?トラブル対応の仕方が会社としての色になって、利用者は選ぶ選択肢ができるわけで、多数の意見の方を善とし、聞こえが良いことが素晴らしい。そんな社会の風潮が自由な社会を妨げ、ひいては経済活動まで萎縮させているように思えてなりません。

少なくとも、前に進もうとするといことは、聞こえの良いことばかりに風見鶏になっていてはダメ。大前提、切り開くという作業は苦が殆どですし、むしろ変革は逆の発想から起こるものであって、後ろを振り向く時間よりも前に進む時間の方が相対的に長くなければ、やっぱりその結果は「後退」にしかならないと思うんです。